モノをいろいろ見ていると、この伝統技術や職人の技を後世に残さなければ!!・・と強く思う。
しかし、よく考えると、それは軽々しく言えない事に直面する。
一つの技を残すと言うことは、その職人さんや作家さんが「その物を作るための道具」を作る職人さん達を10人以上残すことだし、また「その道具を作る」道具を作る職人さん達を30人以上は残さなければいけないということを意味する。
ひとつのモノを残そうといったとき、それは一人の職人さん、作家さんが生き残れると言うことだけでなく、バックにいる大勢の人も一緒に生き残れないとダメだということ・・・
先日行った新潟県見附のシャツ生地の織機や仕上げ加工の機械の一部の部品ですら、もう作る職人さんがいない状況になっている。織る職人さんはいて、織機もまだまだ動くのに、たった一つの部品がないためにその織機は死んでいるのだ。
特にうちのブランケットやシーツを織っている岡山のシャトル織機も、部品が壊れるとほぼ100%特別注文で作るといった状況になっている。
唯一残せる方法があるとしたら、それら日本の技から生まれたモノたちを、非日常から日常に引き戻して、生活の道具として極々日常的に使うことしか我々にはできないのかもしれない。
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